Public Memo For Me

プライベートなメモ帳だけど、公開することで理性を保つ

ITコンサルタントとしての今後のキャリア

キャリアについて堂々巡りな考えが続いているので、少し整理してみようと思う。悩んでいることは、今後の進むべき道であったりゴールであったりといったような少し遠い未来について見えなくなっていることである。

悩んでいること(以降、モヤモヤ)を解消するために、まずはITコンサルタントとは何か、について考えていきたい。その上でモヤモヤが生まれたきっかけについて少し触れて、今の自分の立ち位置から考えられる行き先(目標)について考えてみた。

ITコンサルタントとは何か?

よく耳にする問いである。コンサルタントというと、世間一般のイメージは所謂「戦略コンサルタント」を指していることが多いように感じる。では、ITコンサルタントとは何か?文字面だけとると、ITに関わるコンサルタントということができるが、SE職でもITに関わるコンサルティングをやっているので、これだけではくっきりと違いが分からない。

私は、ITコンサルタントというのはSEよりも高い単価で人を売りたいという欲望から、マーケティングな意味合い、つまり差別化をすることを目的に付けられたネーミングであると感じている。例えば案件によってSEがやるような仕事をITコンサルタントと呼ばれる人がやることは多々ある。なので、定義はあってないようなものであり、ここに囚われるのは違うことがわかった。

私にとってITコンサルタントとは何か?

私の考えは「プロジェクトの成功のためなら、IT・IT以外に関わらずなんでも対応できる、柔軟性でプロジェクトに貢献をする」と考えている。ITコンサルタントという肩書きになろ、SEの頃とは違う少し変わった仕事を抜粋すると、

  • システム新規構築に伴い、法律・省令を変更する必要がないかの調査
  • 外部ベンダーから上がっているネットワーク構成図のレビュー
  • ネットワーク障害が発生時、顧客の代わりに大体機器の選定やケーブルの手配。またデータセンターで指揮できる人がいなければ、自らデータセンターに入室して作業指示
  • システム障害のデバック

    中にはSEの役割もあるが、それよりも一段広い役割をやっていることがわかる。まぁ詰まるところ、何でも屋、なのである。

なぜ、キャリアについて悩み出したのか?

最近、サッカー観戦にハマり出した。スポーツ観戦と言えば、もともと相撲を見ていたのだが、取り組み1つ1つを分析的に見ることができないことに不満があった。そんな時、書店でフットボール批評の雑誌を手にとった時、サッカーってこんなに分析的に見ることができるんだぁと感動した。そこからサッカーをよく見るようになった。

もちろん最初は(今もだが)まったく分析的に見ることができない。ただボールがいったりきたりしているなぁぐらいであった。これではいけないと思い、サッカーに関するブログやyoutubeなどを読み漁り始め目にしたのは、仕事でもないのに熱を帯びてサッカーの戦術や状況について詳しく勉強をして語る人たちの存在であった。そして気づいてしまった。

「自分はここ1年、仕事に関することでこんなに熱く勉強をできていない」と。

何かを変えなければこのままズルズルと歳をとってしまうだけだ、という恐怖感に襲われてしまったのだ。これが、キャリアについてモヤモヤし始めたきっかけである。

今の立ち位置と考えられる方向性

方向性を考える上で、まずはこれまでのキャリアと今の立ち位置について明らかにしてみる。理系の大学を卒業後、大学院へ進まず中堅SIerに就職した。ソフトウェアエンジニアを夢見て入ったが、中堅とはいえ、多重構造上の中盤より上に位置する会社であったため、プロジェクト管理がメインでありプログラムは最後まで書くことはなかった。その後会社の方針と折り合いがあわず、5年で退職。その後小さいITコンサル会社を間にはせて、今の総合コンサルファームへ転職をした。

経験しているインダストリーは様々であるが、一貫しているのは大型ITシステムのリプレイスや新規構築のPMOである。現在年齢は30代中盤、役職はマネージャ。経歴が紆余曲折していることもあり、周りの同年代と比べると昇進の速度はおそい。

このような状況を踏まえ、今後とりうる方向性について大きく3つあると考えている。

  1. 今の経験を生かし深める
  2. デリバリしつつも自社の組織運営にも関与をする
  3. 全く違い分野にピボットする

それぞれ簡単に考察をする。

「1.今の経験を生かし深める」

何も考えなければ、これが順当な道である。よく分からないのは、PMOとして経験を深める、とは一体どのような状態になるのだろうか?実はモヤモヤのもう1つの出発点でもある。よく浮かぶ疑問として、到達点が今と変わらないのではなかろうか?、PMOという職業における最高峰とはなんなんだろうか?である。単純に組織の中でいいように使われて終わるような気がしている。深めるとはどのような状態なのだろうか。

「2.デリバリしつつも自社の組織運営にも関与をする」

やることを少しズラしつつ、新しいスキルを獲得する案。上段で書いたように、組織にいいように使われることを危惧している節があるので、逆に組織を運営する側に回ってみようという発想。これであれば、今までのスキルや経験も生かしつつ新しいことにもチャレンジできる。モヤモヤの出発点の1つに今の仕事に飽きている、というところもあり、それに対する対策にもなる。

「3.全く違い分野にピボットする」

できるようになったことを擦り倒して仕事をするのはつまらん、なので新しいことをやりたい、という発想。まず何をやりたいのか、というところが起点になると思うのだが、特にない。今と違えばなんでもいいきがするなぁと思い、色々な職種をみていたが、給与がチャレンジング。そのチャレンジをしてまでやりたいことがあるのかと言われると言葉に詰まるところである。

結局、色々考えたがソモソモ進みたい道、方向性がないと、なんとも言えないなぁというのが印象であることがここまでダラダラ書いてみてわかった。

今回はどの方向性を選択するか?

とはいえ、今のまま何も選択をしなければモヤモヤが解消されることはないだろう。少し今の会社にも飽きてきたところなので、今回は「2.デリバリしつつも自社の組織運営にも関与をする」ができそうな会社へ転職をすることにした。この仕事柄、あわなければすぐに路線変更することもできるので、あまり重くとらえず軽い気持ちで選択した。

答え合わせは半年後の2022年4月に。

書評:すべてはノートからはじまる



私はある本*1をきっかけに、日々感じたことをA4コピー用紙に書いていた。その後、ipadで実施するようになり、現在は、紙ノートでやっている。また今年からサッカーに興味を持ち始め、サッカーの本を読んだり観戦をしては、ノートにツラツラ書くということをやっている。

この営みに意味はあるのか?、どこか虚しさを覚える瞬間がある。

もっと良いノートの活用方法はないか?、こんな前向きな悩みもある。

こんな定期的に生まれるこの疑問に対して、本書が答えを与えてくれるのではないかと思い購入した。さて、本書の構成は以下の通りである。

1章ではノートとは何かを定義する。本のタイトルからだと、紙のノートを”ノート”と定義するのかと思いきや、電子的なものやただのメモも含めてここでは”ノート”と定義している。ちなみに本書におけるノートの定義は、

書き留め、記録を残し、情報をあとから使えるようにすること。そのような性質を持つ道具すべてが、ノートです。 P.34



2章から7章まで用途別のノート活用方法のtipsで構成されている。特に私に刺さったのは第3章「進めるために書く 管理のノート」と第4章「考えるために書く 思考のノート」である。後ほど掘り下げて話す。

本書の特徴として、様々ノートの取り方を提案し、その効能について説明している。裏を返すと、画一的なやり方を押し付けることなく、読み手に自由度を与えている。逆にノートを今まで活用したことない人*2は、途方に暮れてしまうのではなかろうか、と少し危惧をした。確かに本書では「不真面目に使うことを推奨する」と書いているが、新品の紙のノートを目の前にして、なかなかこの気持ちで書くこと難しいのではないか。

なので私のおすすめとしては、副読本として、「ゼロ秒思考*3」をおすすめする。この本に書いている気持ちでノートを書けば、本書が狙っているノートの取り方を実践できるはずである。

さて、私が今回特に参考になったのは、3章「進めるために書く 管理のノート」と4章「考えるために書く 思考のノート」である。なお、ここからの文章でノートと書いているものは、すべて「紙のノート」をさす。

まず第3章「進めるために書く 管理のノート」

日々の習慣を管理するために、表を使い目標を書き込み日付ごとに○、×をつけるという件がある。

今年からダイエットを始めていて、毎日体重計にのり、その結果をスプレッドシートに入力している。そこから発展して、摂取カロリーや血圧やらもスプレッドシートで管理をしている。なのでこの件を読んだときの感想として、すでにやってるなぁ、という考えであった。

ただ、モノは試しだと思いスプレッドシートに入力している体重を毎日ノートにも書き込むようにしてみたところ、1歩踏み込んで考えることができるようになった。それはどういうことか?

スプレッドシートに体重を記入している時は、昨日と比べて増えたなぁとか、何が原因かなぁと、頭で考えるだけで、その結果が次の行動へ繋がっていかなかった。しかしノートに体重を書くようにしたところ、余白に原因やら今後どうアクションしてくかを書き込むようになり、改善行動へ繋がっていった。これは大きな発見である。

そして第4章。「考えるための」。ノートを取ることは「ファスト&スロー*4 *5」でいうところのシステム2*6を起動 させることにつながるとあった。これは体重をノート に書く件で体感済みである。ものをしっかりと考えたいときは、なんでもいいから書き出す、読書猿さんの独学術の世界で語れば「外部の足場」である。このように自分の思考を頭の外へ吐き出すと、新しい考えが頭の中へ浮かんでくることが改めて体感できた。

本を買った当初は、ノート の取り方のハウツー本だと思い手に取った。しかし、読み終わった後の印象は、自分の頭で考えるためにどうすれば良いかが書かれた方であった。ノートを取る習慣がある人は本書を読むことで新しい使い方が発見できるし、ノートを今まで活用できていない人は、「ゼロ秒思考」と合わせて読んでいただくと、ハードルを下げてノートを楽しめるのではないかと感じた。

*1:これがゼロ秒思考、という本

*2:自分の意志でノートに文字を書いている人のことを指す。例えば、仕事で必要なことをノートにメモをするだけの人はこれに該当する

*3:

*4:

*5:ファストアンドスローを読んだことない人のために補足すると、人の考える機構は「システム1」と「システム2」に分けられる。システム1は所謂、瞬発系の思考。例えばエレベータのドアが閉まりそうな時に、開くボタンを押す。これはシステム1が司っている。システム2は反対に熟慮型の思考。この機構は労力を非常に要するので、人間は本能的に避ける傾向がある。意識しないとシステム2が起動しないので、起動のスイッチを持つことが大切であるが、システム1は人間がヘルシーに生きるために必要な機構

*6:本書ではシステム2という言い方はしていないが

読んでることがバレると恥ずかしいビジネス書(完全な私見)

20代、毎週本屋に行っては、200ページぐらいのビジネス書を買ってはテンションを上げていた、今でいう意識高い系であった。代表的な著者はホリエモン孫正義。そう誰もが憧れるビジネス界のヒーローたちの本だ。

時は過ぎ年齢も30代も中盤に差し掛かり、そのような本とは自然と少しずつ距離ができた。が、やはり、全く買っていないわけではなく、たまに気になって買って読んでいる。ただ、読んでいることが周り、家族にさえバレることが恥ずかしいと思うようになっている自分に気づいた。

なぜだ。

20代、あんなに買ってはテンションを上げ自己を保っていたのに、今は逆の効能を発揮しているのか?。もちろん、中には良い本もたくさんある。ただ、持っているとバレるだけで恥ずかしい気持ちになるのはなぜか?今日はこの気持ちについて深掘りをしてみたい。

ここ3、4年で買った本のうちいくつかを抜粋して、持っていると恥ずかしいと思う本と、そう思わない本に分けてみた。

■持っていると恥ずかしいと思う本(以降、分類1と呼ぶ)

  • Think clearly (ロルフ・ドベリ)
  • 実験思考 (光本 勇介)
  • 言語化力 (三浦 崇宏)
  • 新世界 (西野 亮廣)
  • 多動力 (堀江貴文)

■持っていても恥ずかしいと思わない本(以降、分類2と呼ぶ)

  • マネジメント (ピーター・F・ドラッカー)
  • 三行で撃つ (近藤 康太郎)
  • 情報なき国家の悲劇 (堀 栄三)
  • ファスト&スロー (ダニエル カーネマン )
  • 破天荒フェニックス (田中修治)
  • 影響力の武器 (ロバート・B・チャルディーニ)

どんな切り口でこれらの本を場合わけしてみようかと思案した。そういえば最近読んだ本で面白かったのは「具体、抽象、細谷」である。具体・抽象の枠組みを使って、整理していく。整理の仕方は至ってシンプルに、書いている内容が具体的な内容に寄っているか、もしくは抽象的な内容に寄っているか、はたまた両方か、で分けていく。

■分類1(恥ずかしい)

  • 【具体】Think clearly (ロルフ・ドベリ)
  • 【具体】実験思考 (光本 勇介)
  • 【具体】言語化力 (三浦 崇宏)
  • 【具体】新世界 (西野 亮廣)
  • 【具体】多動力 (堀江貴文)

■分類2(恥ずかしくない)

-【抽象】マネジメント (ピーター・F・ドラッカー) - 【抽象】三行で撃つ (近藤 康太郎)【抽象】
- 【具体】情報なき国家の悲劇 (堀 栄三)
- 【抽象・具体】ファスト&スロー (ダニエル カーネマン )
- 【具体】破天荒フェニックス (田中修治)
- 【抽象・具体】影響力の武器 (ロバート・B・チャルディーニ)

見事に分類1に具体が寄っている。ただ、分類2にもいくつか具体の印がついている。なので、単純に具体的なことが多く書かれている本だから、持っていると恥ずかしい、ということにはならなそうだ。

分類2にある本で【具体】となった本はいずれも、歴史書のように実際にあったことを(脚色を多少交えるが)書いている本であることがわかった。もう少しいえば、違う著者が同じ経験をしても、本の内容は大きくは変わらない。

一方で分類1の本は、著者が経験した事実が書かれているという点では分類2と同じであるが、筆者の個性による解釈が多分に含まれる。またその解釈は「生存者バイアス」強めである。

これが恥ずかしさの正体だったのだ!

ニュースに例えるなら、【具体】のうち「分類2」に含まれるものがNHKニュース。「分類1」がワイドショー。つまり、ワイドショーを見て自分はニュースを見ている、世の中を見ていると主張するような恥ずかしさを、該当本に感じているのだと思う。

最後に、こんなに文字数を使って何を考えているのだろう、この文章を公開することの方が恥ずかしい、という声が聞こえてきそうだが、名もなき書き手なので、そこはお許しいただきたく。


上記で紹介した本のアマゾンリンクを貼っておきます。

■分類1



■分類2