読んでることがバレると恥ずかしいビジネス書(完全な私見)
20代、毎週本屋に行っては、200ページぐらいのビジネス書を買ってはテンションを上げていた、今でいう意識高い系であった。代表的な著者はホリエモン、孫正義。そう誰もが憧れるビジネス界のヒーローたちの本だ。
時は過ぎ年齢も30代も中盤に差し掛かり、そのような本とは自然と少しずつ距離ができた。が、やはり、全く買っていないわけではなく、たまに気になって買って読んでいる。ただ、読んでいることが周り、家族にさえバレることが恥ずかしいと思うようになっている自分に気づいた。
なぜだ。
20代、あんなに買ってはテンションを上げ自己を保っていたのに、今は逆の効能を発揮しているのか?。もちろん、中には良い本もたくさんある。ただ、持っているとバレるだけで恥ずかしい気持ちになるのはなぜか?今日はこの気持ちについて深掘りをしてみたい。
ここ3、4年で買った本のうちいくつかを抜粋して、持っていると恥ずかしいと思う本と、そう思わない本に分けてみた。
■持っていると恥ずかしいと思う本(以降、分類1と呼ぶ)
■持っていても恥ずかしいと思わない本(以降、分類2と呼ぶ)
- マネジメント (ピーター・F・ドラッカー)
- 三行で撃つ (近藤 康太郎)
- 情報なき国家の悲劇 (堀 栄三)
- ファスト&スロー (ダニエル カーネマン )
- 破天荒フェニックス (田中修治)
- 影響力の武器 (ロバート・B・チャルディーニ)
どんな切り口でこれらの本を場合わけしてみようかと思案した。そういえば最近読んだ本で面白かったのは「具体、抽象、細谷」である。具体・抽象の枠組みを使って、整理していく。整理の仕方は至ってシンプルに、書いている内容が具体的な内容に寄っているか、もしくは抽象的な内容に寄っているか、はたまた両方か、で分けていく。
■分類1(恥ずかしい)
■分類2(恥ずかしくない)
-【抽象】マネジメント (ピーター・F・ドラッカー)
- 【抽象】三行で撃つ (近藤 康太郎)【抽象】
- 【具体】情報なき国家の悲劇 (堀 栄三)
- 【抽象・具体】ファスト&スロー (ダニエル カーネマン )
- 【具体】破天荒フェニックス (田中修治)
- 【抽象・具体】影響力の武器 (ロバート・B・チャルディーニ)
見事に分類1に具体が寄っている。ただ、分類2にもいくつか具体の印がついている。なので、単純に具体的なことが多く書かれている本だから、持っていると恥ずかしい、ということにはならなそうだ。
分類2にある本で【具体】となった本はいずれも、歴史書のように実際にあったことを(脚色を多少交えるが)書いている本であることがわかった。もう少しいえば、違う著者が同じ経験をしても、本の内容は大きくは変わらない。
一方で分類1の本は、著者が経験した事実が書かれているという点では分類2と同じであるが、筆者の個性による解釈が多分に含まれる。またその解釈は「生存者バイアス」強めである。
これが恥ずかしさの正体だったのだ!
ニュースに例えるなら、【具体】のうち「分類2」に含まれるものがNHKニュース。「分類1」がワイドショー。つまり、ワイドショーを見て自分はニュースを見ている、世の中を見ていると主張するような恥ずかしさを、該当本に感じているのだと思う。
最後に、こんなに文字数を使って何を考えているのだろう、この文章を公開することの方が恥ずかしい、という声が聞こえてきそうだが、名もなき書き手なので、そこはお許しいただきたく。
上記で紹介した本のアマゾンリンクを貼っておきます。
■分類1
■分類2