Public Memo For Me

プライベートなメモ帳だけど、公開することで理性を保つ

資料は見た目がすべて、という話し

(個人の偏見に依る記事であることを理解して読み進めてね)

私は資料の見た目には人一倍こだわる。周りの人が引くぐらいにこだわる。ITコンサルという業界においては、資料に対する考え方は大きく2種類いる。

・資料は見た目がすべて! 内容は二の次だ! ・資料は内容がすべて! 見た目は二の次だ!

戦略コンサルであれば、純血が多いためおそらくこの議論は勃発しないだろう。ITコンサルタントは最初からコンサルタントの人は少ない。SEやプログラマー、CEといった様々な前歴を経てなっていることが多いため、考え方が偏っている。(勿論当方も)

両方大切なことは重々承知している。ただ、意識的/無意識的かはわからないが、人によってどちらかに比重を置いて資料を作っているケースが多い。タイトル通り私は前者であり、また後者の考え方は論外と思っている。

あくまでも個人の主義主張のため、温かい気持ちで読んでいただきたい。

では早速、当方が「資料は内容がすべて! 見た目は二の次だ!」という主張が論外だと思う根拠を以下に述べる。

「内容がすべて!見た目はどうでもいい!」という人において、わたしが観測できる範囲において、考え抜かれた資料を一度も見たことがない。そう、彼らが命を懸けているくせに内容がズタボロなことがおおい。

この理由についてブレイクダウンしてみると、彼らのいう内容とは、自分で考え抜いた結果を自分なりの表現で書いている。相手に伝える/動かすという視点が欠けている。なので資料を読んでも一発で腹落ちをすることはほとんどない。本人は一生懸命考えたつもりだが、第三者から見ると、自己満足の域を出ない資料になっている。

逆に、見た目至上主義は何がいいのか?について述べていきたい。 まず考えたいのは資料の見た目がいい、とはどういうことなのかである。資料の内容と比べると、第三者の目線(つまり客観的な目線)を入れて自分の資料を見ている。伝えたい相手を理解し伝えようとする努力をしているので、資料としてのできは、当然見た目重視の人が良くなる。

上記、かなり強引な論法であることは理解している。内容にこだわるよりも見た目にこだわったほうが、客観的な視点で資料を見ることができる。なので、人に伝わる資料を最短経路で作れるようになりたいのであれば、見た目は必要以上に意識すべきである。