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読書メモ:自分の中に毒を持て

自分の中に毒を持て<新装版>

自分の中に毒を持て<新装版>

私のアイコン、岡本太郎先生の作品を使わせてもらっており*1、それぐらい先生の作品に魅せられている一人です。ただ、この本を読もうと思ったのは、岡本太郎先生が好きだから、ではなく、赤い装丁に惹かれて購入したら、先生の本だった。

ここ数年読んだ中で一番グッときた本だった*2。グッと来た理由として、近々転職することが決まっており、そういった個人の事情と先生の熱いメッセージがうまく相互作用したのではないかと考察する。

私が受け取ったメッセージは以下3つである。

  1. 安易な道を選ばない
  2. 自分を超えてゆけ
  3. 対極と対峙する

それでは1つずつ、私が感じたことや思ったことを書いていく。

1.安易な道を選ばない

P20:危険な道をとる P85:行きづまったほうが面白い。だから、それを突破してやろうと挑むんだ。

昔いた会社の偉い人が、「迷ったら大変な道を選べ」と言っていたことを思い出した。「危険な道をとる」は、まさにそれにあたる。しかしながら、危険な道を選んでしまった場合、困難が付きまとう。それを乗り越える金言として、「行きづまったほうが面白い。だから、それを突破してやろうと挑むんだ。」という言葉が背中を押す。

安易な道というのは、自分の今まで蓄えてきた経験の中でなんとかなると目論見がたつ道のことである。その道を歩んだとしても、得られるものは決して多くはない。であれば失敗するかもしれないが、次につながる*3、もしくは次の次までを視界に入る視座を産む可能性があるのであれば、長期的に見れば逆に安易な道と言えるのではなかろうか。だからこそ、危険な道を歩むべきなのだ。と、自分に言い聞かせている。

2.自分を超えてゆけ

P11:今までの自分なんか、蹴トバシてやる P36:出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。そうしたら、己を殺せ

P36について補足をすると、もともとは臨済禅師がいった「道で仏に逢えば、仏を殺せ」を基にして先生が仰ったコトバである。臨済禅師が仰ったことの意味は、「ほかの人が作ったものを崇拝している限り、一人前にはなれない。その象徴である、仏にもし会うようなことがあれば殺してしまえ」である。

先生が言った言葉の本質も、臨済禅師が仰ったコトバの本質と同じである。要するに、「自分を縛り付けているのは、自分自身である。もし自分自身と道で出会うことがあれば殺せ」、なのである。

自分を縛り付けているものは、環境でもなく他人でもなく、自分自身なのである。だからこそ、蹴トバシ*4ていこうではないか。

3.対極と対峙する

P20:死に対面する以外の生はないのだ。

どういったときに「生きていること」を実感するかを考えてみたとき、死にそうな体験をしたときの反動で、生を意識することが多い。

例えば、原付で大型トラックにぶつかりそうになったとき。これは仕事でも同じでギリギリまで追い詰められないと、達成感を味わえない。つまり、得たいものの対極を意識や感じることができないと、得たいモノは手にはいらないのではないか、と。炎上プロジェクトがひと段落すると、仕事したな、という達成感を得ることができる。程度は気を付けないといけないが、果敢に対極と対峙していかねばならない。

最後に

自分の人生に今、十分に満足をしているという人には、目障りな本にうつるだろう。満たされていない人のための本である、ということを理解して買っていただきたい。悩みを抱えている人にとっては金言しかない本なので、ぜひ一読していただけると、一歩前に踏み出せる勇気がもらえるはずだ。

*1:岡本太郎記念館で撮った写真だったと記憶

*2:ただし、恋愛パートは共感があまりできなかったので飛ばしましたが

*3:経験をいっぱい得られ、レベルアップしているという意味

*4:なんでカタカナなんだろうか?